1997年
10月

Vo.:越Dr.:須藤でバンドを作ることを決意。
越の高校の後輩だったKb.:塚田と、
サポートでGt.:SHINJIBs.:TAKAを交えて
"THE CAFETERIA"結成。


1998年
3/30

地元の音楽仲間での企画ものがあり、カフェ初ライブ。
当時のビデオテープが残っているが、
もうとても人には見せられたものではない。痛い。
ちょうどこのライブを境に当時バンドの行く末を
悩み続けていた越がカフェテリアを解散させようと
何度となく考えるが、その度に須藤がそれを諭していた。
青春そのものな二人の浪人時代であった。


4月

この頃現Gt.:和泉が越から初めてギターを
教わりはじめる。やったその日のうちにコードの「F」
(バレーコード、ギター修得の第一の壁)を難なく修得し、
越に「なんだよそれ、なんかずるいよ」と言わしめる。
そしてこれを機に一週間後彼をいきなり
正式メンバーとして温かく迎え入れ困惑させる。


9月

ベースも正式メンバーが欲しいよねということになり、
駄目元で現Bs.:鈴木に声をかけてみる。あっさり承諾。
あまりに事が上手く運びすぎて動揺する越。
この頃もまだ越はバンドの今後を悩んでいたが、
和泉のギター購入、鈴木のベーススピード購入により、
いよいよ後に引けなくなってくる。
この時点で現在のカフェテリアの基本形ができあがる。


1999年
3月

越、須藤共に無事大学入学が決定。
しかし、これが原因で須藤単身静岡県の学校へ飛ぶことに。
バンドの練習をしようにも東京にドラムがいない……。
越、一層バンドの行く末に一抹の不安を抱く。


4月~

そして特に目立った活動もなく時が過ぎていく。
一部で密かにカフェ解散の噂をささやかれる。
そして水面下で初心者強化がのーんびり行われる。


2000年
10月

ドラム不在のカフェテリアに越が高校の時の後輩だった
Dr.:マサトを助っ人ドラマーとして招く。そして
「リズムが危うい」「無理に球数増やさないでいいから」
など数多くの罵声をやわらかく浴びせる結果を招き、
せっかく呼んだのに少し寂しそうに力無く笑うマサトを前に
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


2001年
4月

3年前に行われたような企画ものライブの話が
にわかに持ち上がる。
久しぶりのライブか?と胸を躍らせる。
しかし一方で塚田が活動休止願いを申し出る。
仕方なく、以前にもちょこちょこと手伝ってもらった
ことのあるKb.:和田サポートとして招く。


7/7

七夕の日にカフェテリア公式サイト
"OPEN LOUNGE"正式公開。
しかし早速HPのミスをいくつか指摘される。


9/17

カフェテリア2回目のライブ。
このメンバーになってからは初めてのライブである。
ライブ初体験者が5人中3人という状況の中、
何とか無事に成功を収める。
リーダーが一人緊張する中、
他のメンバーはたるみきるくらいリラックスしており、
この日のライブをきっかけにバンド内での
ボケツッコミ 各人の役割・立場がはっきり
露呈されたと言っていいだろう。
そしてこの日を境にKb.:塚田が脱退を表明、
Kb.:和田がサポートメンバーから正式メンバーに昇格。


2002年
5/19

5月初頭にそろそろまた何かしらみんなの目に触れられるところで
活動をしたいという話が内部で持ち上がる。
当時越と和泉がとあるアーティストに
色濃く影響を受けていたため、
二人して「野外ライブしようぜ!」やら
「外でやるならキーボードはアコでしょアコ!」と騒ぎ立てた結果、
わずか半月ばかりで本当に和田はアコーディオンを購入
近所の大きめの公園にて
身内だけあつめて野外ライブを決行する。
この時、須藤はまだ静岡で学業に励んでいたため欠席。
大方問題はなかったものの、ベースだけはミニアンプ付スピーカー
(お菓子の箱程度)の出力が弱くて音が聞こえなかったり、
おまけに風でそのスピーカーがよく倒れる等の
アクシデントに次々と見舞われ、散々な結果に終わる。
しかしそれ以外は順調で、日曜日の昼間ということも手伝ってか、
回りで遊んでいる少年達や犬の散歩をしているおばさん方までが
集まってきてしまい、呼んだ身内とあわせて倍くらいの人の
見守る中大好評の内に幕を閉じる。
あの時行ったじゃんけん大会のプレゼント用に用意していた
カフェ音源MDは3枚全てが
見知らぬ少年達の手に渡っていったのだが、
今頃どうなってることかと思うと少しわくわくするのであった。


9/6

カフェ3回目のライブ。
この日は不運にも朝から大雨で、客足に大変な不安がよぎる。
他のメンバー(特に和泉と鈴木)に至っては気持ちが
高揚してなのか、本番前に行ったコンビニから帰って来るや否や
「おでんができてねえってのはどういうことだよ!!」
「卵を食わねえと始まらねえよ!!」

など、意味不明の憤りを見せる。
しかしそんな不安もよそに多くのお客さんに
見守られたなか大盛況を納める。
だが今までと比べて反省点も多く、
今後のカフェテリアを見つめ直すよい機会にもなった。


2003年
3月

ついに4年間の大学生活を終え、須藤が東京へ帰ってくる。
これでMDに取った打ち込みドラムでの練習ともおさらばだと
皆一同に喜び、彼の帰還を祝う。


11月

須藤が帰ってきて生ドラムにて練習はできるようになったが、
新たに就職するなど、それぞれに置かれている社会的状況が
過去と比べてだいぶ変わってきたこともあり、
なかなかライブができずに悶々とした日々を過ごす。
年内にライブをしたいと思ってはいたものの、
結局それはかなわぬ夢に終わる。
そして来年こそは必ずとばかりに、
水面下にて活動するのであった。


2004年
2/21

カフェ4回目のライブ。
ワンマン、CD音源販売、須藤車の機材搬入出等々、
初ものづくしのライブであった。
本番前にメンバー全員で近くのコンビニへ買い出しに行った際、
皆はライブハウスの方に気を利かせて
飲み物のみの購入にとどまったところ、
越は景気づけにとおにぎりも購入、
その上プリンパフェまで注文するどころか、
そのために皆を散々待たせてしまい
大ひんしゅくを買う。

本番では相変わらず楽曲と
落ち着かぬMCの差が際立っていたが、
いいも悪いも含めてお客さんには楽しんで頂けたようであり、
そういう意味では成功と言えるライブであった。


2005年
5/7

カフェ5回目のライブ。
初ブッキングライブでもあった。
本番前に越が突然、
「手作りカズー(楽器)を使いたい!」
等と言うや否や、100円ショップで材料を買ってきて
作ってみては猛反対されたり、
前回本番中の水分補給に
ポンジュースを選択した暴挙については反省するも、
腹ごしらえにおいしそうだという理由だけで
買ってきたおはぎについて、
「喉つまるんじゃないの?」「手が汚れるだろ」
「もう少し考えて買ってこいよ」などと散々に言われ、
またしてもメンバーから大ひんしゅくを買う。
本番ではカフェもそれなりに成長しているせいか、
前回に比べ短い時間ではあったが、
その分内容の濃いライブであった。
そのためか、お客さんからの評判も前回を凌駕する程の好感触。
しかし反面、反比例する様に反省点も今までで
一番多かったのもまた事実であった。


10/15

カフェ6回目のライブ。
越がリハーサル後に養成所の授業へ赴き、
その後本番直前ぎりぎりで戻って来るというタイトなスケジュールを
こなしながらのライブであった。
後日談になるが、本番前に越がいなかった事で他のメンバーは
今までにない程緊張していたという。
何の事はない、いつもは彼一人が極度に緊張するため、
「ははっまた緊張してらあ」といった具合に他のメンバーは
かえって緊張から解き放たれていたというだけの事であった。
当日は例によって大雨が降ってきたものの、
観客は前回同様の大入りであり、
評判も好調だった前回をまた更に越えるものとなった。
同時にこのライブを境に、「THE CAFETERIA」というバンドが
一段上へ、次のステージへと辿り着いた事を、
メンバー全員が何となく感じたのであった。


2006年
5/27

カフェ7回目のライブ。
当日はだいぶ定着しつつある雨模様であったわけだが、
それでもそんな雨女の力に客足も鈍ることなく
多くの方々に祝福されて迎える事ができた。

気づいてみればのんびりペースとはいえ
5人ともだいぶライブ慣れしてきた事もあってか、
今まで以上に演奏の一体感を高めたり
お客さんへのアプローチも積極的になってきたり、
MCも若干よくなってきた感があった。
その証拠に、回収したアンケートには
今まではあまり見られなかった厳しい意見や
具体的な要望なども書かれるようになり、
より多くの事を求められる水準に到達したのだと言えよう。

その反面、
Vo.越のMC中のそば茶を飲むタイミングがおかしかったり、
そもそもなぜそば茶?とGt.和泉から
また飲み物の選択につっこみが入ったり、
メインMCよりもBs.鈴木やKb.和田に発言が及んだ時の方が
場が湧くのをみてややしょんぼりしていたりと、
今までのカフェテイスト(越テイスト?)も忘れない。

そして閉幕と同時に次回ライブへ向けて
早速準備に取りかかる向上心もなお一層強くなるのであった。


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